7月31日 フィリピン代表保科知彦選手

ロンドンオリンピックの柔道100キロ超級の代表保科知彦という選手が日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれたフィリピン国籍の選手というのは、別のニュースで読んで知っていたのですが、日本に住んでいる方だったんですね。

日比混血の人が成人して日本国籍を選択してもフィリピンで国籍を剥奪されることはないそうで、多くの場合は無難に日本国籍を選択するそうです。

保科選手の場合は日本に住んでいるにもかかわらず、フィリピン代表ということは、あえてフィリピン国籍を選択したということなんでしょうね。

日本国籍を選択することで、一例を挙げれば、非常に便利な日本のパスポートを自由に取得・使用できるメリットを捨てて、あえて言えば不自由なフィリピン国籍を選択したというのは、相当に強いフィリピン国籍に対するこだわりと言うことになると思います。

フィリピン代表としてのロンドンオリンピックへの参加選手は11名。
その中の一人が保科選手です。

ちなみに日本代表は選手293名、役員225名、合計518名だそうです。

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ロンドン五輪:勝利でみんなに恩返し 樹徳高・保科知彦教諭、母の母国フィリピンの柔道代表に /群馬
毎日新聞 7月26日(木)15時45分配信
 ◇女手一つで支えてくれた母の母国
 ロンドン五輪の柔道100キロ超級にフィリピン代表として初出場する桐生市の樹徳高教諭、保科知彦選手(25)は、日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれフィリピン国籍を有する。同国の柔道での五輪出場は20年ぶり。日本代表などに比べ不十分な練習環境だが、「格好悪くてもいいから、勝利を手にして喜びを分かち合いたい」と意気込む。【角田直哉】
 出身は静岡県富士市。柔道は小学6年の時に父泰彦さんの勧めで始めた。しかしその直後、泰彦さんが心筋梗塞(こうそく)で他界した。「やるからには世界のてっぺんを狙え」。口癖のように話し、柔道の楽しさや魅力を教えてくれた父。今でも柔道着の帯には父の名前を刺しゅうし、苦しい時の支えにしている。「いつも父が見守っているから、中途半端なことはできないんです」
 父が亡くなると東京に引っ越し、母ヴィルマさんは、昼間はパート、夕方から深夜までは飲食店で働き、女手一つで家計を支えた。知彦選手が高校時代、体重が73キロと軽いことを理由にレギュラーを外されそうになると、毎晩夕食に鍋物を用意してくれた。「自分が選んだ道なんだから、最後までとことんやりなさい」。半年で体重は100キロを超え、東京都大会ではベスト8進出を果たした。また高3の時には、レスリングの選手としてインターハイも経験するなど、持ち前の身体能力の高さで活躍した。
 大学進学の際には、柔道とレスリング、どちらの道に進むべきか迷ったが「両親との約束を果たせていない」と柔道を選んだ。今年4月には樹徳高に保健体育の教諭として就職。自らの練習は、顧問を務める柔道部の活動の際に、体が大きな生徒を相手に技をかける基礎的な練習を行う程度。世界ランキング97位で、今年4月のアジア柔道選手権大会では初戦で敗れたものの、11年の同大会や世界柔道選手権大会での実績などが認められ、アジア大陸枠で五輪出場をつかみ取った。週に4日、母校の桐蔭横浜大に足を運び合宿練習を重ねてきたが「周囲の五輪選手に比べたら練習量は断トツで少ない」と苦笑する。それでも大学院時代の先輩で、専属コーチをしてくれる佐藤康宏さんと共に、限られた時間を有意義に使う練習で実力を積み上げた。
 五輪出場が決まり、改めて振り返ると、多くの人に頼って歩んできた柔道人生だと実感する。「周りの人から助けてもらうばかりだったが、今度は、自分が勝ってみんなを笑顔にする。『恩返しの大会』だから、絶対に負けられない」。力強く語る瞳には、闘志がみなぎっている。

7月26日朝刊
posted by ワンサイド at 05:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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